おかゆはむらさき

だいたい酔ってます。

無事に生還

前回に書いてから、もうすぐ1か月たちそうになっていた。

早い。時間が早い。

仕事して毎日終わってる。終わる終わる。早い早い。

日曜日、好きな子に会える月曜日が待ち遠しいなあなんて事もなく

また日常が始まってしまう少し気怠い、いつも通りの日曜日。

仕事をする為に早くベットに入り、明日の仕事を考えながら眠りにつく。

給料日までの日数を数えて、給料日が待ち遠しいなあなんて考える。

酒に酔って理想を語って、酔いが冷めて現実に戻る。

立ち止まってはいない、振り返ってもいない。

立ち止まる気力が無くて、振り返る勇気が無い。

ここで文章を書いているのは脳みそを整理する為だけど

文章にすればするほど情けなくてカッコ悪くて無力でやるせない。

明日は月曜日。また1週間が始まる。

頑張りまぁす。

 

おかゆ

 

 

 

残念ながらあの頃の自分はもういなかった

PCを付けたら書きかけの日記が保存もされずほったらかしになっていた。

「バッドエンドルートを回避出来なかった場合の対処法を考える」

という題名で文章を少しだけ書いていたけれど、

読み返すと、何言ってんだコイツ感が凄すぎて、たまらず消去した。

残念ながらもう

バッドエンドルートを回避できなかった場合の対処法を考えている自分はいなかった。

やっぱり、昨日腹がたつなあと思った事に今日は腹がたたなかったり

昨日は意地悪だなと思った人に今日は親切だなあと思ったり、

相変わらず勝手すぎる自分と他人にいつも自分勝手に振り回されている。

あまりに問題の無い平和な日常に慣れすぎると、自分が弛んでいくのがわかる。

自分に貪欲に。

明日も経験値をつむ為に歩くのみです。

 

 

ラジオから大好きな曲が流れた。自分が産まれる前にうまれた古い曲だ。

それが、ラジオから、今、流れた。

それだけで今日が良い日になった。単&純。

 

おかゆ

 

もう、ほんとイライラするなあ

今日も昨日に続き絶好調にイライラしている。

イライラしながら愛想笑いして、面白くも無い返事しか出来ない自分にもイライラする。

これはもう、巷で有名な反抗期かな。

大した興味もないくせに、ズカズカ土足で踏み込んで来る人は

きっと自分に自信があるんだろうなあ。

とか散々考えて、明日になったら、また違う事考えてんだ、きっと。

また全然違う事にイライラたり、

かと思えば、イライラした事なんて無いかのように楽しんだりしてんだきっと。

勝手だなあ。まさに自分勝手だなあ。

昨日自分で言ったことに、共感できない今日の自分。

いつも言い訳してるな。

誰かにも、何かにも、自分にも。

大人になったって、しょーもない事ばっか考えている。

子供の頃のしょーもない事の方がずっと価値があるなあ。

揺れる、揺れる。

今こそが青春。

 

おかゆ

お前に何がわかるんだよ

人にとって傷になる言葉と、自分にとってどうでも良い言葉

「相手の気持ちになって考えなさい」

「自分がされて嫌な事はしないこと」

本当に言葉を喋れるようになってから聞かされ続けるワードだと思いますが、

よく考えれば、自分以外の本当の気持ちなんて分からないし

自分がされて嫌な事=相手の嫌な事ではないんだからそれはそれで押し付けだ。

だけれども、

「いや、お前、ほんとに、それよく言ったな」とゆっくり大事に言ってやりたくなるくらい

自分にとって、自分たちにとって頑張っている事を

ほこり掃うみたいにあしらわれたときは勝手ながら傷つくものだ。

他人との温度差への衝撃。

それ、自分もやってるんだろうなと思うと恐ろしくなる。

ふざけんなよと、本当にシンプルに思うけれど

これがまたどうにも出来ない時がある。

情けないけど、ヘラヘラしてしまって、

ヘラヘラした事に後で後悔してイライラしたり。

情けなくて無力な事は自分が一番しっている。

でも、だからといって、それをどうにかできる力が今の自分には全くない。

今日まさに、お前それ今ここで言うか?を目の当たりにしたけれど

結局それが現実で、自分の頑張っている事なんて、微塵も他人には伝わらない。

自分が傷ついている事も、微塵も他人には伝わらない。

他人の頑張りもよく考えたら微塵も伝わっていない、

というか、他人の頑張りについてなんて微塵も考えていない事が多いと気づいた。

そう思ったら、まあどっこいだな。

悔しい気持ちも、やるせなさも、イライラも、自分への反省も全部混ざって

豚汁みたいにいい感じに美味しくなればいいのになあ。

そんな感じ。

 

おかゆ

他人の「これはマジだから」は信用して良いものか

いつもいるコンビニの店員さんに、

その日の互いのコンディションで腹が立つ時がある。

電車に乗っている人の良さそうな他人にたまらなく腹が立つ時もある。

かと思えば、

絶対キレた方が良いだろうと思う場面で、

「まあ、こんな時もあるよね」と馬鹿みたいに心穏やかにスルーできる日もある。

本当に人間は勝手だ。

他人も勝手だし、自分も勝手だ。

家の中にこもっている訳にもいかない年齢なので(お金のある人は別。羨ましい)

どうしても社会に出て他人と接する事になるのですが、

そうするとどう考えてもタイプの違う人とか、考え方が違う人と

会話をする状況が生まれる。

貧乏性なのか、そういう人と会話をする時でも

どうせなら何か収穫が欲しいと思ってしまう。新しい何かが知りたいのだ。

自分だけで生活していたら絶対に知りえない考え方や感情を知りたいと思うのだけども

さて、何を話せば良いのやらと考えてしまう時がある。

新しい何かを知りたいと思いながら、「絶対に盛り上がりそう」な話題を探してしまうのだ。

いや、別に良いのだけど。矛盾ですね。

全員が自分と同じような感情を持ち合わせているかは不明ですが

そこにいる全員がこの場が盛り上がりさえすれば!という一体感を感じる瞬間がある。

その結果として盛り上がったその瞬間は感動モノだ。

あくまで自分の場合でしかないですが、

それでも自分は、少なくともその瞬間に何かを得ようとはしていて、

別に何かを諦めている訳ではありません。

くだらない何かからも何かを拾いたいと思っているんです。

その上で、

「その状況を楽しめる自分」

もしくは

「それすらどうでも良いくらい何も気にせず自分の楽しいと思える状況」

を作りたい。

社会に出ると怖いほどに

待っているだけじゃあ、自動的に刺激的な事はそうそう起こりません。

「適当に生きる」=「諦めて切り捨てる」

にはしたくないけれど、それが案外自分にとっては難しい。

面倒くさいですね。

いつでも、全力で自分と向き合っていたいんです。

最近、適当に笑ってしまう自分がいるのと、

適当に笑う大人が多いなあと感じるのです。

ただ、その適当な笑いに救われる瞬間もあるから難しいなあとも思うのです。

でも、世の中のバランスをとるために生きているのではありません。

明日も楽しみましょう。

 

おかゆ

寂しさという塊を紐解いてみる

「寂しい」という感情は不思議なもので、

「寂しい」が嬉しさや幸福感、充実感に繋がることがある。

幸せそうに見えたって、分かりえない寂しさを持ったうえでの幸せだったり

楽しそうに見えって、その裏には必ず寂しさが待機してたりして。

世の中は残念ながらそんなにキラキラしていない。

世の中は残念ながらそんなに希望ばかり満ち溢れてはいない。

ただ、寂しさや悲しさや孤独や絶望や

そういったマイナスに捉えられがちな感情があるからこそ

幸せや楽しさや満足や希望というプラスに捉えられがちな感情が生まれる。と思う。

寂しい事は恥ずかしい事でも、かわいそうな事でもない。

たまに折れてしまいそうになるけれど

少なくとも自分は寂しさや孤独の感情を肥やしにしてきた。

弱いが故、そうせざるを得なかったのかもしれないけれど、

それが正しい事なのかは分からないけれど、

少なくとも寂しさ=絶望ではなかった。

寂しさは生きる力だ。

 

おかゆ

思っている以上に他人は他人に興味なし

よく、こんな状態でとても人と会えないな、とか

会いたい人がいるけど、久しぶりすぎてこんな自分じゃ会えないな、とか

そんな事思って、人と疎遠になる事が多い。

つまり、ナルシストなだけで、

「本当はもっと違う自分」とか

「もっと素敵な自分」とか、自分に期待しているが故

現在の自分との差が大きすぎて、今の自分=恥ずかしい自分になっているんです。

自信が無いんです、要するに。

いつから他人の目を気にするようになったんだろう。

いつから色んな人と仲良くして認められなくちゃと思うようになったんだろう。

認められようとしても失敗ばかりで認められる事なんて全然ないし、

自分の失敗は所詮自分の失敗で、他人はそう気にしていない。

みんな自分の事でいっぱいいっぱいだ。

それなのに劣等感を抱いて、人と会う事を拒んで新しい何かを掴み損ねている。

自信が無かったら何もしちゃいけないのか

勝算が無ければ何もする意味はないのか

楽しいと思える毎日を作れるのは自分だけなのに。

結局、強いのは、

どんなに失敗しても、認められなくても、気づかれなくても、否定されたとしても

やりぬいた人だ。

経験をし続けた人だ。挑戦し続けた人だ。

やりぬける事が何か、じゃなくて、目の前の事をやりぬけるか、だ。

そう思います。

頑張れ、自分。もっと考えろ。

 

おかゆ