おかゆはむらさき

だいたい酔ってます。

本当に若気の至りなのか

10代の頃は、それはそれは全力で

自分の信じたものを本気で信じてやまなかった。

異常な程にやりたい事に全力で

そのやりたい事で何かを変えられるとすら思っていて

自分のそのやりたい事をやった結果の形に

1ミリたりとも恥ずかしさを抱くことはなかった。

人にどう思われるかより、自分がどう思うかだけを考えていたし

将来うんぬん、就職うんぬんではなく本当にその時だけを生きていた。

でもその経験は間違いなく私が今生きている中で役に立っていて

私が一番本気で生きていた時だなと思う。過去形なのが悔しい。

 

例えば、当時の私は田舎に帰れば指をさされたり

東京にいれば外国人に写真を一緒に撮ろうと声をかけられたり

主にファッションにとても全力で、もしかするとおかしな人だったかもしれない。

思い立って個展をやってみたり、美容関係のショーに衣装提供したり。

そのすべてが紛れもなく私が全力でやっていた答えだった。

上手く表せない感情をファッションで表現していたし、

毎日の不満はファッションで発散していた。

洋服を作って場所を探してショーをしたり

ヤバいな(勿論格好いいという意味で)と思う洋服で身を固めて外に出たり

毎日が不安と興奮と期待と希望で生きるのが苦しいくらいだったけど

とにかく幸せだった。

私にとって刺激になることが無ければ生きていないも同然だったし

悩みや葛藤の無い日はそれこそ絶望と恐怖で行動せずにはいられなかった。

文字にすれば大したことの無い、全然小さなことなのだけれど

当時の自分にとってはそれが全てでそれが生きる意味だった。

就活などせず毎日毎日作りたいものを作っていたし、表現したい事を表現していた。

それはそれでとてつもなく苦しくて不安で眠れないような毎日だったけれども

それでもとにかく私は生きていた。

それがどうだ。

今、私は社会に出て、生活の為にお金を稼げるようになり

それなりの幸せや楽しみを見つけ、嫌な言い方をするのであれば

妥協しながら毎日を生きていく方法を見つけて生活している。

あの頃は何も考えてなかったからね、なんて言ってしまったりして。

あの頃がむしゃらに生きていたのは本当に若かったせいなのか。

社会で生きる事の大変さを知らなかったからなのか。

好きな事に素直に生きていただけなのか。世の中に甘えていただけなのか。

きっと、違う。絶対に、違う。

苦しいも孤独も絶望も失敗も知った上で、

その先にある自分の知らない世界をちゃんと求めようとしていた。

間違いなく今みたいに傷つくことを恐れてはいなかった。

それがいつのまにか求めることをやめて、周りにあるそれなりの楽しみを

最高の幸せだと決めつけ正当化しなんとなく生きていた。

その考えが正しい時も、自分を救ってくれる時もあった。

大人になって選択肢が増え、それを選択する事は間違いではない。

でも自分にとっての正解はそれでは無い。

どの選択も生きづらいのであれば、小さなことでもちゃんと選択して生きていたい。

けなされることも、目をつけられる事も

評価されることも、誰かの目に留まることも無いように

周りと足並みを揃えて生きる事になんの意味があるのだろう。

自分の人生は誰の為にあるのだろう。

なんでそんなことも分からなくなり、考える事も

求める事も追及することもやめてしまうだろう。

賢く生きれなくても、人に指をさされても、おかしいやつだと思われても良い。

どうせ、大した結果なんか残せないのだから

せっかく生きてるんだし、自分が楽しい生き方をしないと

私はきっと後悔しながら死んでいく。

だから私はやらなきゃいけないし、生きなきゃいけないと思う。

 

おかゆ